郊外だからこその環境

努力とは裏腹に

これらの施策を導入することによって、混沌とした街になることなく、雑踏としなかっただけでも高槻市にとっては幸運といえます。実際、ここまで自然と文明が調和している街も中々ない。個人的に知る限りではない、景観維持を目的にして厳しく取り締まっている兵庫県の芦屋地区をおいて他にない。京都も確かに厳しいが、自然環境を保護しているかと聞かれたら都市部にそれらが多く見られるわけでもないため、京都はまた違った景観が構築されています。

急速に街の発達が行われる中で、いつまでも人口が増えていくわけではない。街の発達がある程度落ち着き、人口の流入が安定し始めたのは昭和60年代終末頃からとなります。時代はバブル経済崩壊を迎えようとする最中、高槻市もいわば泡のように脆い夢の時間が終わりを迎えようとしていた。その結果、経済的ダメージを被るわけだがそれ以上にあってはならない事態が起こってしまったのです。それは『街に住んでいる人たちが高槻市という街に対して何も感情を抱いていない』というものだった。

服部シロウリのところでも述べたが、高槻市に住んでいる人たちの中には名産が何かも分からない、高槻という街がどういうところなのかも理解していない、という人がいる。街に対しての愛着や誇りが恐ろしいほど欠けてしまった、それが平成になってから初めて課題となったものであり、政策課題として取り上げられるほどの深刻さを有しているのです。

高槻市に住みたい

市民の入れ替わり

大規模な入れ替わりが行われるようになった時代、住宅開発によって様々な影響を及ぼす事になったが、自然環境や文化遺産の保全も大事なことですがそこに住む住民たちの街に対する愛着や誇りがない、というのも大問題だ。何しろ、街がどのように変革していったとしても興味関心の対象にならず、おまけに自分たちの生活に害悪をもたらさなければ構わない、平たく言ってしまえばそんな状況になっても住めていれば問題ないと言っているようなものだ。

開発によって都市そのものは発達した、ただその代償とはあまりに大きすぎるものを遺してしまったのです。入れ替わりとなって高槻市を去ったのは他でもない、それまで住んでいた人たちだったのだ。それまでの風景が好きだった旧高槻市が変化していく様は、それまでの住民には見るに耐えなかったのでしょう。あるいは発達によって出ていかなければならなかったという、訳ありも会ったのかもしれません、隠れキリシタンの里と呼ばれ、キリスト教を信奉する人も多かったが、その血統を組む人もそこから立ち去るという選択肢を選んだ可能性は十二分に考えられる。

どのみち、発達を極力抑えることには成功したが、高岡市に住む住民たちの民意を低下させるという副作用をもたらしてしまった。そこまでの展開はさすがに予期していなかったため、政策課題にあげられるほどの深刻な問題と当時みなされていたのもなんとなく理解できるでしょう。

まだ良い方

そう考えれば服部シロウリの生産をする担い手が少なく、貴重な野菜を作れる後継者を残さなければといった高槻市の意図も理解できます。昔ながらの住民はいまだに存在しているでしょう、ですが服部シロウリをいつまでも作れるかと言えばそれも簡単な話ではないからだ。農作業は基本重労働となっており、また生産量が一定以上でなければ生計を立てるのも難しいなど、デメリットを多く内包しています。

高槻市だけで生産されているという服部シロウリにしても、今現在住んでいる人たちですら知らないという人が多い名産が、何処までの需要があるのかという問題も大きい。それと同等に高槻市は大きな問題を抱え込んでしまい、まずは住んでいる人たちが少しでも高槻市の魅力などを認識してもらうことにより、更なる発達に繋げられればと考えなくてはならなかった。

新築マンション

住みやすいといわれる一方で

大都市にしても地方都市にしても諸処の問題は内在するもの。それがどの程度のものかは地域によって差はあるものの、高槻市の場合はその度合が比較にならないと言ってもいい。何しろ住んでいる人が自分たちの街に対して興味を持てない、などというのは論外にも程がある。一体何をどうしたらここまで民意が低くなってしまうのか、ただ人口が入れ替わっただけではこんなにひどくなることもないだろう。なにかしら原因はあるのだろうが、そこが高槻市が抱えている闇とも解釈できる。

不安視される部分こそあれど、現在ではそこまで危惧されるような事態に発展することもなくなりつつあるので、心配には及ばない。それでも服部シロウリのような名産が絶えてしまうかもしれないなどの問題は残っているが、昔と今を比べたらこれ以上ひどくなることもないでしょう。

高槻市でリフォーム