景観維持には気を使っている

固有の景観が変革する中で求められたこと

高槻市にとって発達は悪かといえばそうではない、ただ度合いが過ぎない開発にならないよう務めるという意味合いでだ。街を発達させるためには何をおいても、人的資源がなくてはならない。ただ街によっては増やしすぎてしまうと、街の本質に悪影響をもたらしてしまうことになりかねない。高槻市だけでなく、他の地域においても景観を守らなくてはならないとする条例は全国に見られます。そう考えれば東京都内がいかに無秩序な発展をしていたのかが顕著なのが見て取れる。

最悪の展開、いうなれば後世に汚点を残しかねない行動をしそうになったが、それを未然に防げただけでも高槻市にとっては救いといえるでしょう。とはいえ、景観を維持するために街としてはかなりの労力を強いられているのも事実。都市開発をしたい、けれどその分だけ義務として自然保護と、街の中にある古墳を初めとする歴史的遺産をどのようにして守っていくか、それが高槻市の景観形成において大きな影響を及ぼしています。それ以外にも、景観形成に必要な取り組みとして定めているものには、他にもある。

高槻市に住みたい

高槻市の景観が出来上がるまで

高槻市の景観はかなり稀有なものといえます。高層ビルを作ってはならないとする京都近辺の決まりや、兵庫県芦屋地区における景観維持を目的にした厳しい条例とはまた違った景観への取り組みとして、主に次のような点が主なものとなっている。

環境保全、並びに文化財保護の視点

高槻市は市内のおよそ半数に及ぶ範囲で森林を占め、淀川や芥川といった河川敷なども多く水源が存在している自然豊かな地域となっています。だからこそ隠れキリシタンたちにとって、外部の人間には見つかりにくい、役所の人間から糾弾にも逃れやすい土地柄が良かったからこそ隠れキリシタンの里とまで呼ばれていた。それもこれも自然豊かな地域で人間が住む環境として、当時の人にとって不便をもたらすものはなかったのです。

それらの自然環境はもちろんのこと、文化的遺産である古墳などを決して侵食すること無く環境を守るために法律の観点による様々な制度を敷くことにより、住宅街の発達を促しつつも過度な拡大が起こらないよう未然に防ぐことが出来た。しっかりと考えられる人が指揮を取っていたからこその成果、そう言える。

都市計画による土地利用の誘導

もう一つ拡大を防ぐきっかけになったのが土地利用に対する規制・誘導を図るため、『市街化区域』と『市街化調整区域』に区分することにより、森林などを残しつつ発達に成功していった。中でも北部丘陵地を始めとした区域には住居専用地域の指定によって住宅地の形成を促しつつ、自然と人工のバランスを乱す・崩す事無く一律に保つことに成功している。

また市街化調整区域と指定された農地を中心とした場所では法律を元に『農業振興地域』として指定することにより、みだりに土地利用の転用を制限するなど農地景観の保全に務めるなど、様々な作用をもたらした。さらに摂津峡周辺において、『摂津峡風致地区』として指定を行うことで、建築行為や木竹の伐採などの行為を対象とする許可制度により、風致の保全を図るなどして環境維持に努めていった。

文化財をどう保護するか

高槻市には自然だけでなく、文化財である歴史的遺産をどう保護するか、という問題も残っていた。これらの保護は日本という国がこれまでどのような時代を過ごしてきたのかを意味するものであり、破壊することは日本人のアイデンティティを破壊するも同義。中にはそんなの知ったことではないと考える不届き者もいるため、府と市それぞれの条例を用いることにより文化財の保護に務めた。指定の文化財を登録することで恒久的な保存と活用が図られるようになり、歴史的景観としての高槻市ならではの景観を生み出すことに成功しています。

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高槻市だからこそ出来た景観

高槻市とは、そう考えると実は複雑なしがらみが複数に存在する地域となっているといえるのだ。それこそ元来そこにあった自然環境だけでなく、先達たちにより建造されていった歴史的遺産、地形的な意味で大阪と京都を繋ぐ場所としての鉄道網の開通といった3つの要素が入り混じっていたのです。

首都圏にもそういったものがあれば話は違っていたのかもしれません、そうすれば高槻市のように自然と文化遺産、それぞれを保護しながらの都市開発というものが出来たかも知れないのだ。都内にも歴史的に見て名高い、決して忘れてはならない遺産と呼ばれるものは存在していたが、中には衰退してしまったものもある。そこにあるだけで価値が無いと断定して無下にする、そんな方針を抱えた業者も存在しているとしたら、もう取り返しがつかなくなります。

言ってしまえば開発が進めば暴走などいくらでも起こりえるのが見えていたからこそ、条例に条例を重ねる形で自然と文明の両遺産を守るために動く人たちがいたのだ。なんと素晴らしいことか、高槻市の景観はそこに住む人達の見通しが景観維持に貢献した、そう言えるのです。

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